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淹茶道『重陽の茶の宴(ちょうようのちゃのえん)』が、11月3日に執り行われました。
当日は朝まで降り続いた雨も、お昼には止み、開宴の時刻には陽がさしておりました。
 
重陽の節句は、菊を用いて不老長寿を祈ることより『菊の節句』とも言われます。
旧暦9月9日に行われますが、新暦にいたしますと今年は10月25日。
そこで、この度の宴を『重陽の茶の宴』といたしました。

『重陽の節句』は3月3日に行われます『桃の節句』よりちょうど半年。
この半年の厄、穢れを払い、さらにこの後の半年を無病息災で過ごすことを祈念いたします節句です。
そのため、『後の雛祭り』とも呼ばれ、平安時代より大切にされてきた節句なのです。
 
当日は、
日本舞踊 西川流総師 西川右近様
四世御家元 西川千雅様
エッセイスト 高田都耶子様
中央区議会副議長 田中広一様
江東区議会議員 鈴木綾子様
尾張徳川家菩提寺 大森寺住職 石橋伸一様
のご臨席を賜りました。
 
御座所(おましどころ)において、
宗家家元 中西景皇の『宴の式』の作法により、客(まろうど)の皆さまに果物、東風釜炒茶をお召し上がり頂きました。
 
果物は、平安時代より宮中にて食されておりました「亥の子餅」と、「索餅(さくへい)」、唐風釜炒茶は、淹茶五茗より宮崎県高千穂のお茶が供されました。
 
続いて、茶室において初代宗師 長谷川景光と、副家元 中西景記の作法により平安時代の六種の薫物のひとつ『菊花』の奏香が行われました。
 
ご臨席の高田都耶子様の御尊父 薬師寺第百二十四世管主 高田後胤先生の筆によります『不東』のお軸が掛けられました。
 
『不東』とは三蔵法師が経典を求めて唐の都「長安」を立ち、インドへ向かう際に “経典を持ち帰るまでは決して東(長安)へは戻らない” という決意を込めた言葉です。
 
淹茶を正しく世の中に普及伝承させる宗家の決意を重ね合わせてこのお軸が掛けられました。
 
奏香の後は、重陽の節句に因み「栗・芋・菊」を使いました膳が振る舞われました。
ご参列の皆さまへは、家元、副家元がお酒をすすめ、本日のご臨席に重ねて御礼を伝えました。
 
穏やかな宴が無事に執り行われました事、ご報告申し上げます。

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ちょうようのちゃのえん